MF 7 松本怜「これを来年、何らかの形で恩返しするしかない」
——準優勝という結果について。
ACLに行きたかった。優勝して歴史を作りたかったので悔しいの一言。
——内容的には悪くなかったと思うが。
決められる場面もあったが、結果が全て。どんな形であれ勝たなくてはならない試合だった。結果を出したかった。
——ACLに向けての思いが強かったと思うが。
途中からチャンスをもらって自分か試合を決めてやろうという思いでピッチに入った。なんとしてもACL行きの切符を取りたかった。その切符を取って、J2降格では大分県民やサポーターに悲しい思いをさせたので、少しでも希望をもたらせればよかったのだが、本当に悔しい。
——これがラストゲームだった片野坂監督への思いは。
カタさんには僕は6年間、最長でお世話になっていて、感謝しかない。今季も試合に出られない時期があったのだが、カタさんだったので、僕は試合に出られない中でも納得して自分に向き合った。そこで頑張ったからこそ、こうやって最後に怪我明けでも国立の舞台に立たせてくれた。感謝しかない。
——試合後の円陣で長いこと監督が話していたが。
カタさんは最後にみんなを集めて「負けてしまったけど胸を張って帰ろう。グッドルーザーでいよう」と話をしてくれた。だけど、僕はカタさんに優勝させてあげたかったし、大分から駆けつけてくれたたくさんのサポーターにも優勝を味わわせてあげたかった。グッドルーザーでいたいけれど、悔しい気持ちでいっぱいでいる。
——サポーターがたくさん来てくれていたが。
コロナ禍にもかかわらず、これだけたくさんのサポーターが来てくれたことに感謝している。僕たちが最後に点を取れたのもサポーターの応援のおかげ。優勝できなかったので、これを来年、何らかの形で恩返しするしかないと思う。切り替えて来季頑張りたい。
——横浜FM所属の2012年に国立競技場で天皇杯準決勝・京都戦のピッチに立っているが、今回と比べて。
マリノスにいたときの準決勝・京都戦は負けてしまったのだが、そのときの思いよりも今日の決勝を戦う思いは、やっぱり長年サッカー選手を続けてきたからこそ、それがどれだけ貴重かとか、舞台に立てる喜びも倍以上のものがあった。今日への思い入れはすごく強かった。
——大分の激動の時期を経験し、片野坂監督のサッカーもよく知っているが、このチームにとって天皇杯決勝の価値は。
いま思えば6年前にJ3に落ちたときには、こうやって国立の天皇杯決勝の舞台に立てるなんて想像もしなかった。誰しも地道に地道に努力して我慢して苦しいときを乗り越えて頑張っていけば、ご褒美ではないが、努力した結果は、ちょっと長くかかったかもしれないが、必ず実る。カタさんにもそれを教えてもらった。
またJ2に落ちてしまうが、頑張っていけば必ずまたJ1に復帰できると思っている。僕個人として「百折不撓」というスローガンをずっと掲げている。折れても折れても挑戦し続ければ絶対に道は開けると思うので、来季1年、みんなでもう一度奮起してJ1に上がりたい。
——自身のキャリアについて、今後に向けては。
今季思ったのは、試合に絡めないときに、ベテランとしてどうやってみんなを鼓舞できるか、どうやってみんなをサポートしていけるか。そこでまだまだ足りない部分があったと思う。来季も必ず苦しいときがあると思うが、そこで何が出来るか。試合に出ていなくても出来ることはたくさんある。まずは試合に出ることが大事だが、それ以外の部分でも、自分を高めていきたい。