MESSAGE
私たちの想い
トリニータを
応援してくださっている皆様へ
いつも大分トリニータへのご支援、ご声援を賜り誠にありがとうございます。
今シーズン、クラブは創設30周年の節目の年を迎えさせて頂きました。これも一重に大分トリニータというクラブへの熱いサポートを頂いたからと深く御礼申し上げます。
今シーズンを迎えるにあたり、スローガンをチームの設立時の想いでもあります『三位一体』とさせて頂きました。また、ユニフォームの胸には30周年の記念ロゴを入れ、そのデザインには旧エンブレムを付けさせて頂きました。
このクラブの歴史を更に30年、50年、100年とここ大分で刻んでいきたいと願いも込められております。クラブが今日を迎えることが出来たのは本当に多くの皆様のご支援、ご声援があったからと思っております。『大分の活力に貢献する!』この企業理念を忘れずに、大分トリニータを支えてくださっている皆様、大分の子供たちの未来の光となるような存在になりたいと考えます。
今シーズンも昨年以上の激戦が予想されます。皆様におかれましてはスタジアムに足を運んで頂き、毎試合選手達に熱い応援を頂けますよう、宜しくお願い申し上げます。
MOVIE
30周年スペシャル動画
TEAM HISTORY
これまでの歩み
- 1994
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大分県リーグ
- 大分FC設立総会開催 愛称“大分トリニティ”に決定。
- 第30回全国社会人サッカー選手権予選で公式戦デビュー。
- 県1部リーグ優勝、天皇杯九州予選1回戦敗退。
- 1995
-
九州リーグ
- 九州各県リーグ決勝大会に優勝し、九州リーグ昇格決定。
- 九州リーグ優勝、天皇杯九州予選準決勝敗退。
- 1996
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JFL
- JFL昇格決定。設立661日と史上最短記録!
- JFL開幕戦。強豪東京ガスをPK戦で制し初勝利。
- JFL 10位、天皇杯3回戦敗退。
- 1997
-
JFL
- クラブ創設期より指揮を執ってきた文正植監督が勇退し、朴景和氏が就任
- JFL 12位、天皇杯2回戦敗退。
- 1998
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JFL
- ブラジル名門クラブでの監督経験を持つフォルミーガ―氏が就任
- 新しく練習拠点として、「リバーパーク犬飼」での利用を開始
- JFL 6位、天皇杯3回戦敗退。
- 1999
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JFL
- (株)大分フットボールクラブ設立(2/1より営業開始)、それに伴いチーム名を“大分トリニータ”へと改称。
- 日本サッカー協会理事にてJ2加盟が承認。
- 昇格を賭けた山形との最終節、延長の末引き分け、勝ち点1差の3位(21勝3分12敗/10チーム中)でJ1昇格を逃す。
- J2 3位、天皇杯3回戦敗退、ナビスコ杯2回戦敗退。
- 2000
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J2
- 大宮との最終節を勝利で終えるが、勝ち点1差の3位(26勝3分11敗/11チーム中)で再びJ1昇格ならず。
- J2、3位、天皇杯3回戦敗退、ナビスコ杯1回戦敗退。
- 2001
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J2
- 石﨑信弘監督解任後、小林伸二監督就任。
- 最終節の鳥栖戦は全員攻撃で臨むが引き分け、6位(25勝4分15敗)で終える。
- J2 6位、天皇杯3回戦敗退、ナビスコ杯2回戦敗退。
- 2002
-
J2
- アウェイ大宮戦で勝利し悲願のJ1昇格を達成!
- J2優勝。Jリーグ理事会においてJ1昇格が正式承認。
- J2史上初の100勝目を記録。首位(28勝10分6敗)で終える。
- J2 優勝、天皇杯4回戦敗退。
- 2003
-
J1
- J1としての公式戦初試合となったアウェイでのナビスコ杯予選第1節京都戦で敗れる。
- J1初戦のアウェイ仙台戦で敗れ黒星スタート。
- ホーム磐田戦でチーム史上最高の3万4823人の観客動員を記録。
- アウェイ神戸戦でリーグ最多得失点差記録と並ぶ8‒0の大差で初の2連勝。
- 最終節、ホーム仙台戦を堅守でしのぎJ1残留を決定。
- J1 14位天皇杯3回戦敗退、ナビスコ杯予選敗退。
MANAGER DIRECTORY
監督名鑑
UNIFORM MUSEUM
歴代ユニフォーム
サポーターと共に歩んだ30年
これまでも、これからも。
地域コミュニティーの絆を深める「存在」として
「夢」と「感動」を共有し
誰からも愛されるクラブをめざして